大阪市平野区の「街の歯医者さん」をめざします
私は父親がタクシーの運転手、母親がパートタイマーの共働きの家庭に育ちました。 小学1年からいわゆる「鍵っ子」で、6畳と4畳半の2Kの風呂なし団地(大阪市営住宅)で約20年過ごしました。
毎日銭湯に通い風呂上りにおいしそうにコーヒー牛乳を飲む同級生を尻目に、自宅で麦茶をのんでいました。
父親は、星 飛雄馬の父;星 一徹のごとく、それはそれはとても厳しい父でした。 よく鉄拳制裁もくらいました。ただし、昨今のような児童虐待とは明らかに一線を画していた事は、当時も、自分自身が父親となった今も確信しています。
中学2年のとき、突然新聞配達(朝刊のみ)を始めました。雨の日も風の日も雪の日も、休刊日以外ほぼ毎日5時から6時頃まで約150部配っていました。
冬場はしもやけで、両手の指がふくれあがり、「グー」ができないときもありました。
「ハングリー精神」はこのころから培われたような気がします。
高校時代は全く勉強せず、井上陽水に夢中になっていました。実は今をときめく橋下 徹(元大阪市長)は4つ下の後輩です。
大学時代は塾の講師や家庭教師などのアルバイトをし、40万円の中古車ではありますが、人生初のマイカーを手に入れました。
当時「86トレノ」と呼ばれ、若者に人気のあった車種です。カセットから流れる陽水の曲に感動したことを、今も鮮明に覚えています。
卒業後、5年の勤務医と3年の雇われ院長を経て、現在地にて「居ぬき」開業しました。ですから庶民感覚で対応させていただいておりますので、お気軽にご来院ください。